Lesson 1: Scripts

Presenter A: Script (History of Interpreting in Japan)

(2 Minutes 12 Seconds)

(1) これから、江戸時代から現代までの日本の通訳の歴史についてお話しします。

(2) 日本では、江戸時代の初期には鎖国の体制を取っていました。当時の記録によると、長崎でのオランダとの貿易交渉で通訳をしていた人がいたそうです。この通訳者達は、「通詞(つうじ)」と呼ばれ、オランダ語の知識は子孫が代々継承していました。

(3) 19 世紀になると、日本人は英語学習も始めるようになります。しかし、やはり日本人はオランダ語の方に馴染みがあったため、ペリーが日本に来航した際も、オランダ語を挟んで進められました。

(4) 明治時代に入ると、日本人の外国語学習は英語やフランス語、ドイツ語に移っていきました。この頃は海外との交流も増え、通訳者の活躍の場も増えましたが、通訳者になれたのは裕福な人たちだけだったようです。

(5) 昭和の時代、にほんでは 1964 年の東京オリンピックも開催され、より優秀な通訳者が求められるようになりました。そこで、1965 年には、サイマル・インターナショナルという日本初のプロ通訳者集団が組織され、通訳者の育成も手がけるようになりました。

(6) その後も日本の国際化はますます拡大し、通訳者は国際交流に欠かせない存在となりました。1969 年の西山千によるアポロ 11 号の月面着陸や、1990 年代の湾岸戦争のテレビ中継の通訳は、通訳を目指す人の増加を促しました。

(7) 現在では、すべての子供が外国語教育を受けられるようになり、留学も以前より一般的になったことで、これからもっと通訳の研究が進むことが期待されています。

(8) ご静聴ありがとうございました。

Presenter B: Script (History of Interpreting in Japan)

(1 Minute 54 Seconds)

① 通訳の歴史についてお話します。

いつ頃から通訳というものが存在したのでしょうか。さまざまな説がありますが、「旧約聖書」に、異言語間の話し合いに通訳を専門としている人の使用が明確に記さ れています。

② 日本で通訳は、仏教やキリスト教の布教活動や室町時代から江戸時代に行われたお茶 や香辛料の貿易、そして江戸時代に行われたポルトガル商船の渡来で使用され、国際 関係を進展させました。

③ 鎖国時代に唯一海外に開かれた出島で通詞と呼ばれる、通訳に従事していた役人がい ました。彼らは、通訳の実務だけでなく、西洋文化や化学を学んだり、塾を経営し、 多くの遊学者を指導したりしました。歴史上で有名な翻訳物として「解体新書」があ ります。これは、杉田玄白や前野良沢らが「ターヘルアナトミア」というオランダ語 で書かれた解剖書を翻訳し、それをもとに作られた解剖書です。この本の出版で、日 本の医学は大きく前進しました。また、オランダ語の翻訳技術が進み、医学以外にも 伊能忠敬が精密な日本地図を作るもととなった天文学などの西洋の学問が盛んになり ました。

④ 近代については、日陰の存在であった通訳者が国際連盟の総会や第二次世界大戦後の ニュルンベルク国際法廷での複数言語の使用に伴い、逐次通訳、同時通訳を行ったこ とで、通訳のあり方が大きく変化しました。日本でも 1960 年代に、東京オリンピッ クをはじめとする、国際的なイベントや政治、経済を中心とした国際会議が急激に増 え、通訳の需要が飛躍的に伸びました。

⑤ 以上で発表を終わります。

Presenter C: Script (History of Interpreting in Japan)

(1 Minute 41 Seconds)

① 今から英語通訳の発展について紹介します。

② 日本に初めて英語が入ってきたのは、江戸幕府が創設されて間もない 1600 年で、 航海士のウィリアム・アダムスが鎖国中の日本に上陸した時に入ってきたと言わ れています。ウィリアム・アダムスはのちに、日本人女性と結婚し、三浦按針 (みうらあんじん)という日本名を与えられ、徳川幕府の外交顧問となりまし た。

③ 当時の日本はオランダ語は通訳できましたが、ウィリアム・アダムスはイギリス 人で英語を話していたため、ウィリアム・アダムスが話したことをオランダ船員 がオランダ語に訳して日本人通訳者に伝え、それを日本人が和訳したと考えられ ています。

④ 英語知識が不足していると感じたのは 1808 年に起こったフェートン号事件です。 この事件以後、英国戦の来航が増えたため、幕府は日本人通訳者の英語力の低さ を知り、通訳者に対して英語を学ばせました。

⑤ 来日した英米の外交官や宣教師、ジャーナリストは日本人から日本語を学びなが ら日本語研究を行い、一般人向けの英語の教科書も生み出しました。英語の教材 には、教科書、英文テキスト、翻訳書、英和辞典や和訳辞典などがあります。

⑥ 当時の英語の勉強方法は、「素読」というものが採用されていました。英語を学ぶ 人たちはこの素読を何百回も繰り返していたと言われています。この素読は英学 だけでなく、蘭学にも採用されており、この「素読」を経て外交に使える語学力 を身につけていたと言われています。

⑦ ご清聴ありがとうございました。